求められる人材論; 「深さ」と「広さ」について

現在、とある企業で経営人材候補者の輩出プログラム作りをしていたり、若手選抜社員に対する経営マインド注入系研修をしたりする中で「T型人材」というキーワードがある。
要するに、何かを極める必要はあるけど、視野狭窄ではダメで、「技術バカや営業バカ」は困るけど、「軸がしっかりしていないと」みたいな話しだ。
 
「継続は力なり」とも言うけど、「複眼的視点を持て」とか、「思考は移動距離に比例する」とか言ったりもする。
 
今日は、実際の話し、具体的にどのぐらいでバランスを取ればいいの?とか、
「深さ(軸)」と「広さ(幅)」をスピーディーに獲得する肝は?
ということについて、今のところ東京仕事と農業の二足のわらじを履いている自分の事も見つめながら、私の考えを書きたい。
 
まずは、いくつかエピソードをご紹介しながらポイントを纏めたい。 
 
まず、「深さ」あるいは「軸」について

先日、とある種目(それほど競技人口は多くはないがストイック)で、複数回オリンピックに出られた経験のある、40代の方と、ゆっくりした雰囲気でお話しさせて頂く機会があった。
 
パッと見ただけで、それと分かるような「ホンモノ感」を漂わせ、余計な事は言わないような方だ。軸が強い。
 
その方は、引退されて指導者になっておられるのだが、さすがは元オリンピック、なんであれリーダーに据えたなら、組織はしっかりするだろう、と感じさせるオーラがある。
 
こういうタイプは、農業にもちらほらいる。農業を事業として拡大している人は、たいてい頭の良さはもちろん、懐の深さ、覚悟や胆の据わり具合など、どれをとっても一流の人が多いし、そういうことは、パッとわかってしまう。
 
このような一流の「強さ」を獲得するに必要な事は、私の考えでは、
 
・10年程度その領域に本気で打ち込んでいる事(3年じゃまだだめ)
 
・それが好きで好きでまわりの目関係なく打ち込んでいること
 
・ある程度その人の個性・才能に合った領域で本気になる事で、国内/世界トップクラスになったと認識できるレベルまで到達している事。結果、「世の中がどうなろうと、自分は食ってくのに困らない」という自信があること

こういった経験が必要なんだと思います。
 
すこし、マクロな話しをすると、今の世の中の「情報化」と言われる流れによって、様々なノウハウやネットワークは、社内にとどまるのではなく、どんどんオープン化し中途半端はいらなくなる。
つまるところ必要とされる人材は、センスのある職人か、人間力のあるリーダーと汗かくまじめワーカーぐらいなものになる。
また、組織の前提として、終身雇用/叩き上げが当たり前で無くなった瞬間に、「リーダー像」の必要条件から、「一生懸命叩き上げた人」というのははずれ、単純にふさわしい能力人間力があるかどうか、で決まるようになる。要するにリーダーも流動化、オープン化する。
日本には、まだまだ弱っちいサラリーマンが沢山リーダーポジションについていて、たくましい力やオーラのある人が在野にいるというギャップが存在すると思う。
今後、こういう在野の実力のある人が、いわゆる一般企業の経営層になるというのは、大いにあり得る流れだと思うし、必要な事だと思う。 
 
元オリンピック指導者についても然り。
失礼ながらその競技の指導料だけではそんなに大きな収入になりそうもなかったので、「普段は、別のお仕事もされているのですか?」とお伺いすると、「いえっ、私はこれしかできませんから」と謙虚におっしゃった。
もちろんその方は、指導に専念して教え子をオリンピックへとか、目の前に打ち込む事がある訳だけれど、日本のレベルアップという意味では、少しもったいない気がする。
 
ちなみに、「世界の中で、自分をどうonly oneにするか?」で悩むというのが現代のみんなの共通の悩みだと思うが、それに対して、「自分を上手にタグ付けする」方向で対応しよう(例えば、キャリアをこういうふうに積み上げよう)みたいなのは、深さや強さになかなか繋がらないと思う。
 
周りからどう見えるか、を意識している時点で、その人は弱い。
 
結局、他人に自分の事は分からないし、死ぬ時に、「世界から(薄く)広くこんなイメージで知ってもらって良かった」とはならない。 
 
タグなんかは、「コンビニアイス評論家」的な、面白おかしいのでもいいから、随時ウケるものを商売道具として使うぐらいで丁度いい。
私も、今は「エリートが農業へ」的な、それどうなんだよというタグがつけられている気がするが、それはそれで今のところは利用しつつ、「長野とインドネシアを繋ぐ起業家」的なタグにシフトしようとしているが、そこに本質は無く、つまるところ僕は「未来予測」が好きだし、それにのめり込む事だけが僕を本質的に強くすると思っている。
 
次に、「広さ」について。
 
深さを極めれば、そこから勝手に広さが備わる、という考えもあろうかと思う。突き詰めれば世界が見える、というような。ただ、ちょっと禅問答のようになるので、それは置いておいて、そうはいっても「広さ」「複眼的視点」も大切と思うし、それをどうやれば身につけられるか、ということについて書きたい。
 
結論を、一言で言えば、
 
「普通全く交わらないような、異なる複数のコミュニティーそれぞれにおいて、自分が飛び込んで心を通わせる経験」
 
がポイントだと思う。
 
別の言い方をすれば、あるコミュニティーやゲームのルールにおいて通用したことのある人が、それを捨てて、まったく通用しないところで1からもがいた、という経験が必要、ということだ。
 
こちらも、いくつかエピソードを。
 
コンサルをやっていたときの話。
競合のファームが、クライアントの業界ごとのチームを作っていて、それに対してウチの上層部が、「コンサルは基本的に業界知識ではお客さんに勝てない。だから、いろんな業界のお客さんを持って、どこかで起きている事を、こっちの業界に当てはめるとどうか、といった思考の広がりを持たないとだめだ!」というようなことを言っていて、当時は、そうか頑張ろう!と思った。
こういうのもあるにはあるが、今は、むしろそういう事ではなくて、コンサルから居酒屋に飛び込んだ時、またその後農業に飛び込んだのがポイントだったなと思う。
そのことが自分の思考の幅を広げてくれ、その事によって、いろいろな提案や説得などができる。つまり、僕の思考の価値の源泉になっている、と思う。
 
コンサルやってた頃の話に戻ると、むしろクライアント経営者の考えている事もおぼろげに分かりつつ、工場等の現場に通って、現場のパートさんや、高卒叩き上げの現場主任に少し心を開いてもらう、みたいなことが若手コンサルタントの価値の源泉だったな、みたいなことは思う。
 
冒頭書いた、「思考は移動距離に比例する」という言葉の意味も、全く別の場所で、触れ合わないコミュニティーを跨いで、それぞれで通用しようとして四苦八苦することが、自分独自の思考をもたらす、という事だと思う。
 
年齢、収入、文化 こういったカベ/違いを乗り越えて繋いで、折り合いをつけて、挑戦をする(例えば、ビジネスを展開する)。そういったことが、一番頭に汗をかくし、誰もやった事無い事、誰も考えたこと無い事にたどり着けるチャンスを生み出してくれる、と思う。
 
少し話しがそれるが、僕がビジネスを展開する時に、基本に据えている事がある。
それは、「僕がワクワクするか。」
僕にとっては、売上数百万円のレベルまで、のるかそるかのところが最もワクワクする。
実は、ゼロを1に出来たなと思ったら正直興味が薄れます。
ビジネス的には1を100にするほうが効率的にリターンを得られるんだろうけど、ワクワクマックスにするには、そこは非効率に見えます。
そして、ワクワクするというのは、要はそのままでは自分が通用しないところに、飛び込んでみる、ということです。
 
今後、先に述べた元オリンピック選手や、農業経営者が、普通に企業経営や国家/自治体経営に挑戦してくる時代が来ると思うし、来て欲しいと思う。一方で、大企業や有名大学のブランドで安全圏内に居た人が、それが全く通用しないフィールドに若いうちに飛び出ることで強くなる、
そういう「飛び込む」というシーンが増えたらいいなと思います。
 
また、今の若い人を見ていて思う事。 情報を得るという意味では、僕ら世代と比較にならないスピード、質で幅を持っており、正直うらやましい。TEDとか、facebookとか、いろんな情報ソースがある。
だけど、やはり自分で動いて、人と会って、話して、人と合意して、動かして、、、という実地の活動をする時に使ってる頭の使用量は、やはりいろいろ受信している時の使用量とは桁違いだと思う。
結局、いろいろなものは知っているけど、自分の言葉になっていないな、というところで迫力が無い、という感じが多い。
ということで、この「深さ」と「広さ」の話しは、将来ある若い人に向けて書きました。
 
「深さ(軸)」作りは、ざっくり10年かかると書きましたが、一方で、「広さ」=思考の枠を広げるということはどれだけかかるか?
 
私は、付合う人、いる場所をいろいろ変えて、いろいろともがいてみるという事は、時間がかかるし、一生かけて、一挙手一動足をなるべく「挑戦」する方向に持って行くことでしか得られない、終わりなき旅だと思います。
そして、そうだからこそ、人生は愉しいのだと、思います。
 
深く、広い人生にしたいものですね。
 
最後になりましたが、ということで、みなさん長野へ、インドネシアへいらっしゃい。 チャンチャン