ブラック企業ないし、ホワイトカラーの労働生産性について語ろう

元々働いていたベイン(東京)が、戦略コンサルの中では「ホワイト」なので就職人気になっている中、ベインからワタミに転職した際、「なんていい会社なんだ」と感じた、木村です。
 
ブラック企業」だとか、「ホワイトカラーの生産性」とかについて、いろいろと言われる事が多い中、色々な事に違和感を感じつつも、意見を発信すると角がたったりしそうなので、何も発信してきませんでしたが、いくつか思う所を書きたいと思います(ドキドキ)。
 
概要は、以下の通りです。(これでも、過激なのはなるべく避けていて、本当はもっと思う所ありますが、ブレーキかけてます)
 
・二倍の時間働けば価値はざっくり10倍(だらだらではなく、一分一秒生産性高く過ごす事は前提)。
社会/会社で、「何者か(余人を持って代え難い価値を出す)」には、特に若いうちは、人より多く働く事が殆どの場合不可欠。こういう人材(数より質)こそ、「突破力」が備わるので今、本当は求められている。

・「負けたくないから出来るだけ頑張りたい/せっかくの人生だから最大限なにか成果を出したい」人にブレーキをかけさせるのは愚の骨頂。頑張る自由が担保されない社会なんて、絶対没落する。

・企業のイメージ/ブランド価値が「ブラックレッテッル」で毀損されるリスクが大きすぎるから、「ホワイト対応/ワークライフバランス」バイアスがかかっている構造がある。社会として、wiseに対応すべき。

以下、それぞれのポイントを補足して行きたいと思います

・二倍の時間働けば価値はざっくり10倍(だらだらではなく、一分一秒生産性高く過ごす事は前提)。
社会/会社で、「何者か(余人を持って代え難い価値を出す)」には、特に若いうちは、人より多く働く事が殆どの場合不可欠。こういう人材(数より質)こそ、「突破力」が備わるので今、本当は求められている。

ホワイトカラーの生み出す価値のうち、主なものは、「判断力」です。
 
質の高い判断力を生み出すのは、「思考の幅と深さ」です。
 
思考の幅と深さを生み出すのは、「思考力」x「思考時間」です。
 
より質の高い判断の為には、常に「この仮説は本当に正しいのか」を問い続ける必要があり、一つの仮説が正しいか、正しくないか分かれば、すぐ次の検証しなければならないことが絶えず出てきて、終わりはありません。限られた時間(判断するタイミングまでの時間)に、どこまで走りきれるかのレースのようなものです。
 
もちろん、判断の質を、「チームで」高めて行ったりするのですが、感覚的には数人までなら相乗的にプラスになりますが、10人以上で力を合わせれば深まったりしない訳です。10人以上の会議が生産性上がりにくいのはイメージつくと思います。
 
むしろ、数人で分担するとはいえ、非常に重要な判断、「パッと見、常識的には、Aが妥当そうだけど、ほんとはBなんだ!」というような突破は、やはり「個」の力、説得力、迫力が、経験上大切です。
 
企業の判断の価値、良い判断をするかしないか次第で変わって来る経済価値は、簡単に数十億、時には数千億と変わってきます。
 
だから、「最もよく考えられた、最も説得的な判断」にはすごい価値があり、それ以外(二番手以降)には、殆ど価値が無い、という現実があるのです。
 
判断の質を左右するのは、やはり「個」の力が大切だし、個の力は、「思考力」x「思考時間」で決まってくるので、集中してやりきることで、出せる価値は飛躍的に増えて行くものです。
 
先に、2倍働けば10倍の価値、とざっくり書きましたが、現実はもっとカーブの勾配はキツい感じがします。
そして、今流行っている、「生産性」という観念から言えば、
 
「生産性」=価値/投下時間 
 
とすれば、2倍ぐらい働く方が、ずっと生産性が高い、という現実があると思います。
 
もちろん、ずっと月400時間以上とか働くのは、健康上、精神上もたないでしょうから、オフの時を作ってしっかり休んだり、10年に一度は1−2年ひきこもったりというのは大いにアリだと思います。
 
ただ、現実として、「1ヶ月後にM&Aの入札があるから、それに参加するのか、いくらの入札額で出すのか」みたいなシーンはある訳で、そういうシーンに特に若いうちに貢献する為には、めちゃめちゃ働いて「思考の質」で勝負するぐらいしか手がないのではないか、というのが実感です。
 
もちろん、中年になってくれば、ネットワークを構築したりいろいろ仕事のやりかたは変化してきますが、労働時間と価値の関係が級数的という本質はあまり変わらないと思うのと、
また、若い時に、「突出する」為には、殆どの場合、若いからこその馬力があるので、「思考力」x「思考時間」の、「思考時間」の方を最大化して勝負していかないと、なかなかおじ樣方に感謝される仕事はできないのではないかな、と思います。

・「負けたくないから出来るだけ頑張りたい/せっかくの人生だから最大限なにか成果を出したい」人にブレーキをかけさせるのは愚の骨頂。頑張る自由が担保されない社会なんて、絶対没落する。

書いた通りで、あまり補足は無いのですが、「No残業デー」とかって、場当たり的でボケてるなという感じがします。“ゾーン”に入っている人に走り切ってもらう環境を整える事こそ、企業にとっては欠かせない、最優先取り組み事項であるべきでしょう。
 
「価値」を基軸に、ホワイトカラーの仕事を評価する体制・能力が会社に無いことこそが真の問題であり、伸びる会社は、「価値を評価する眼」と、「頑張る人間に頑張り切らせ、価値を出させ、ちゃんと評価する」体制を必ず具備していると考えます。

・企業のイメージ/ブランド価値が「ブラックレッテッル」で毀損されるリスクが大きすぎるから、「ホワイト対応/ワークライフバランス」バイアスがかかっている構造がある。社会/会社として、wiseに対応すべき。

 
ここが、歯切れが悪くなる/言いたい事を全部直截的に書くのが憚られるので、分かりにくくなるかもしれませんが、書ける範囲で書きます。
 
ネットなどで、「衆愚」的に、ブラックだなんだと祭り上げる動きが、殆どコスト無く、且つその評価基準の正当性や、起きた事とその原因の因果関係についての洞察が、かなり疑わしいにもかかわらず、祭り上げられる企業のダメージは甚大です。
 
ここに、理不尽さと、そういう社会ってどうなの?という懸念と、やりきれなさを強く感じます。
極端な話、「狂言的な」ブラック企業レッテルを貼る動きが生まれたとして、被害を受けた企業が、その動きに対して損害賠償を請求したとしても、働きかけた側の個人やネット住民とかに、絶対そんな支払い原資や受けて立つ立場は無い訳です。
 
そのような状況を踏まえて、冷静にwiseに対応する社会であって欲しいと思います。
そのために、微力ながらこの稿を書いてみました。
 
私の眼には、ワタミは、素敵な人が生き生きと働く環境が沢山ある会社でした。ワタミを退職して独立した人の多くは成功しています。
その事を最後に書いて、おしまいにしたいと思います。