効率とは、つまるところ「信頼」

海外で仕事をしていると、思うように「効率的に」進まない事も多く、
あらためて日本の良さは、いろいろ確認しなくても、社会がちゃんと回っているところにあるなーと思います。
 
例えば、Notarisという、「公証人」という制度があって、
日本だとたいしてなじみがないかもしれませんが、
要は、「社会的信用がある人」が、「この書類、確かに私=公証人の前で当人がサイン/捺印しましたよ」とお墨付きしてくれるというサービスです。 

日本でも遺言の信頼性確保の為に使われたりしています。

インドネシアだと、そこいらじゅうに「Notaris」事務所があり、契約書類は基本「Notarisの公証」が求められます。

はっきしいってめんどくさいですが、それだけ偽造でもめたり、とあるのでしょう。
 
日本は、いろいろな理由で、「基本みんなまじめ」という信用があります。
いろいろと疑ってかかったり、ダブルチェックする手間をかけなかったりしている社会で、それこそが「効率」の源泉なんだと思います。
 
究極、「この村は、誰も鍵なんかかけないよー」というようなことも、あったり。 鍵かける手間も要らないなんて、超効率的!
 
ちなみに、「効率」というと、「最適化」みたいな、Big dataでoptimizationとか、そんなことな雰囲気がある気がします。
それはそれで、面白い事は起きるのかもしれませんが、「社会の効率」という観点でいうと、ちょっと違うのかなと。
 
やはり、みんながまじめで、且つ、ちょっと守備範囲を広めに、まわりと重なるぐらいにとっている責任感がある。
そんなことが本当の効率の源泉なんだと思います。
 
日本車が競争力があるのも、部門の垣根を越えて一定の「信頼(仲間意識)」があるからでしょう。
デザイン―開発―生産―マーケ―販売が、「他の部門がちゃんと仕事しないから、じぶんとこが割喰ってる」と思うのでなく、「それぞれが持ち場がんばっているから自分もがんばる」というのが効いてるのでしょう。
これは、国際基準から行って、とても希有に日本が優れている所だと思います。
 
しかし、  しかししかし。
 
最近、こういう、日本の「コアヴァリュー」といってもいいような事が崩れてきている気がします。
 
大銀行の行員が詐欺を起こしたりすると、さらに銀行業務は非効率になり、ひいては利用者にとってコストが高くなりますね。
 
政府も、これだけ財政赤字があると信用されず、徴税・年金回収効率なども下がって行くことでしょう。

電鉄会社が、公共心を忘れ駅を使いにくくしつつ目先の利益を追うし、通信・ネットサービスなども既に公共インフラなレベルなハズなのに、未だにバンドリングして利用者に不便・不自由をかけても自社で囲い込もうとする。 などなど。
 
一隅を照らすこれ則ち国宝なり

改めて胸に刻みつつ、そういう社会を(小さいコミュニティーでもいいから)一つ一つ作って行きたいものです