現代における「刀狩り」イメージ

日本の歴史について、いろいろな誇るべきことがあります。
 
人種差別撤廃を国連で確認しようとした事、
漢字とかなのハイブリッド言語を開発進化させたこと、
などなど
 
でも、最近私が一番気になるし、意味や経緯をかみしめたいと思うのが、「刀狩り」です。刀狩りは実質銃狩りで、刀文化は江戸時代更に進化した。
 
鉄砲伝来以降、たった20〜30年で日本は世界最大の銃保有国になりました。輸出量もすごかった。この時点では一時、世界最強かもしれない軍事力があった。朝鮮出兵では釜山からソウルまで2週間ぐらいで到達していました。
当時からイノベーションは弱いけど、モノ作りDNAはハンパ無かった。
 
その日本が、銃をやめたのです。
 
今で言えば、アメリカが核を放棄したり、コンピューターを放棄するようなもんです。
 
当時世界的にも騎士道精神、武士道精神みたいなものはあったが、銃によってそれが踏みにじられるという感覚は広く持ち上がっていました。
 
でも、具体的に大掛かりな「軍縮」「技術と距離を置く」ということがここまで出来た例は無いでしょう。
 
それには、大仏建立(銃を集め潰す大義名分になった)、道教など教育、士農工商、勤労倹約のススメと、一方で非常にクリエイティブな文化の発展、鎖国、参勤交代などの統治システム等いろんなことが絡まって成立したのだと思います。
 
現在の世界にも、アーミッシュとか自主的活動として一部の人が技術を距離をおいて精神的な充実/バランスを求める動き等はあります。
 
ただ、そろそろ社会的主流を作る動きとして、そんなことが起きてくると面白いなと思います。 草の根的に広がって行くんでしょうが、ITでどかんと成果を出した起業家達が、全然違う事を言い出して、そんな流れになって来たら面白い。
 
既に、最もクリエイティブなITの会社は拠点を東京から地方に移したりしています。そのことが、会社のカルチャーにどのような影響を与え、会社がどのように変容して行く、興味深く見ています。
 
以前ブログで、一定時間だけアクセスできるメールやオンラインゲームが増えるといいというような話しを書きました。まだまだイメージ湧いていませんが、「スパイラルアップした江戸時代」はどんなかな、と考えるのは面白いです

秀吉、家康が今生きていて、電車でみんなスマホ見てるの見たら、どう考えるんだろうな