「承認飢餓社会」に求められる「自分にタグづけ」について

高校生に向けて、いろいろと話す機会があり、今の時代の生き方について考えた。
 
話したことは広範に亘るが、今日は「自分タグづけ」について書きたい。
 
まず、前提として、今の時代は、マズローの言う所の「承認欲求」(self esteem)飢餓社会である。
 
そこまでの欲求(生理、安全、所属)は、昔と比べてさくっと満たされるのに、「承認欲求」はなかなか満たされない。
 
セレブ情報や、世界の同世代のスゴい奴情報はバンバン入ってきて、どんどん欲は膨張するのに、そういう情報と自分の現実を比べてしまって、しんどい。
 
それが、フェイスブックアバター恋愛シミュレーションゲームなどが大流行りしている理由でしょう。
 
ではどうするか。
 
本質的な解は、「自己実現欲求レベルへの解脱」なのですが、そしてそれは重要だし、コツもあると思うのですが、それはおいといて。
 
やっぱり、自分個人へのタグづけは考えなければならないでしょう。
 
個人へのタグづけで必要な事は何か。
 
コンビニアイス評論家というのがいましたが、そういうことではないだろうと。
浅いものは、一過性であり、十分なタグにならない。 コンビニアイス評論家さんも、コンビニアイスの解説はすぐ飽きるだろうし、葬式の時に、「すごいコンビニアイス評論家だったね」と言われたい訳jではないでしょう。
 
僕は、個人タグづけがちゃんと出来ている訳ではないですが、二つの事が大切だと思います。

1、 普通一人の人が両方やらないような、二つ以上の事をある程度のレベルでやること
 
2、 プチや副業でもいいから起業する事

グローバル化社会、「かぶらないタグ」は希有です。
それを見つけるには、二つ以上の全然かぶらない事をしっかりやって、その両方をやっている人間がほぼ居ないからこそ、自分特有の価値が生み出せるようになる、というような事があるのではないでしょうか。
 
また、「個人」としてタグがつく程に立つには、サラリーマンでは難しい所があるでしょう。
「個人」として、わたしはここにいて、こんなことやっています! と、迫力を持って言うには、個人として全責任、全権限を持って売上を立てるようなレベルがスタートラインかと思います。
 
私自身、「長野/インドネシア/(国際)農業/経営者育成/未来予報士」、、、といったキーワードから、わかりやすいタグを紡ぎ出して行きたいと思います。