丸山珈琲 丸山健太郎さん談話メモ

昨日、信州の’独立系’若手農家集会があり、
特別ゲストとして参加頂いたスペシャティー珈琲草分け、丸山珈琲 (リンク )創業者の丸山さんが取り組まれて来た事を語る場に同席させてもらった。
 
お店は、軽井沢、小諸、小淵沢にしかないが(いまのところ赤福的戦略)、東京でもよくおしゃれなインテリアショップとかに行くと、コーヒーミルとかのよこに置いてある銀色のパックの、あの丸山珈琲だ。
 
まず、スペシャティーコーヒーを簡単に説明すると、これまでコーヒーは、「キリマンジャロ」とか「モカ」とか、ものすごい広い範囲で定義されて来ていて、イメージで言うとワインが「フランス」とか「チリ」とか書かれているぐらいしか類別がなかった。
 
これを、例えば、「ボルドーのXXというワイナリーでつくった」というレベルまでメッシュを細かくしたプレミアムコーヒーが、スペシャティーコーヒー。 実はスターバックスも、当初はスペシャティーコーヒー豆専門店からスタートで、飲み物は出していなかったそうだ。
 
実際、丸山さんのおすすめはホンジュラスのXX地区のものだったりして面白い。
 
お話を聞いて、あらためて、すばらしいなと思ったのでシェアさせて頂く。
こういう事例が、地方から、自分の身近な軽井沢から出て来ているのがうれしいし、
その方の店がすぐそばにあって、スーパーとかで通りかかるとちょっと近況交換したりする、そんな環境にあらためて感謝したい。
 
< 丸山珈琲成功に至った5つのポイント >
 
1、回り道した最初の十年。回り道しても目が曇らず素直に状況把握、逆にバネに。

丸山さんは、コーヒー店をはじめたとき、ほかのどのコーヒー店とも同じような感じで、「焙煎」にこだわった。
職人のプライドとして、多少豆が悪くても、俺の腕でおいしくできる!という視点で捉えていた。
ところが、アメリカで、企業が会社としていい豆を直接農家さんから輸入し、若い人がチームで大きい機械で焙煎している姿に衝撃を受け、そのコーヒーがあまりにおいしかったので、「焙煎職人」の方向性はちがったんだと悟る。
 
丸山珈琲は創業20年ですが、最初の10年は「まったくの田舎の1コーヒー店で、あとの10年と全く違う」とおっしゃていました。「急がば回れ」というのはちょっと違うかもしれませんが、人生そんなにスムーズに行く訳ではありませんが、「過去にとらわれない」という事がとても大切だと、改めて思いました。
 
2、原点は「がんばっている他者のため」
 
丸山さんの原点として、一番話に熱が入ったのが、ある農村での体験でした。
豆のブラインドテイスティングコンテストで上位に入ったが、とても辺鄙な場所(ホンジュラス?)に買い付けに行ったときの話。
その場所は全然メジャーな買い手が来ていないような場所でした。
丸山さんが到着し、家に泊まった訳ですが、衝撃の連続。
「トイレはどこですか?」と聞くと、トイレなどない、とのこと。
2−3歳の子がいたそうですが、丸山さんにも当時同年代の子供がいて、現地の小さな子は下着もつけてないし、顔は鼻がたれているし、こけて泣いてもみんな忙しいからかまってもらえないし、トイレもないし、ということで、自分の子供と比べて、なんていう状況なんだろうと。
自分の店のコーヒーがおいしく出せるのは、なによりこういう生産者ががんばっているからなのに、やりきれない気持ちになり、「少しでも正当な価格で買いたい」という強い気持ちが、丸山さんを走らせ続けているそうです。
 
3、半歩先ぐらいでの事業展開。海外で先進的に起きている事を目と足と舌でしっかり把握。フットワークで勝負
 
スペシャティーコーヒーは、アメリカでブレークし始めていて、豆のブラインドテストコンテストなどが開かれており、素地が揃って来ているところでした。 日本では商社や卸を敵に回す事になるので、いろいろとあったようですが、銀行から資金を確保したり、仲間のコーヒー屋と輸入を取りまとめてロットを確保したり、お客様がついて来たり、という実現に至るピースが揃えられたのも、「半歩先いっている」というのがあったんだろうなと。この半歩先というのがビジネスを成功させる上ではポイントだなと、改めて思いました。
 
4、夢に日付を的な勇気 自分ごととして捉えきって逃げない。
 
丸山さんは、アメリカの大手スペシャティーコーヒー扱いチェーンを見て、その品質と規模に衝撃を受けました。当時、1種類のコーヒーを月2俵ぐらいしか使えなかった、地方の1コーヒー屋が、1コンテナ(〜250俵)単位で動くコーヒー豆物流の世界で買い負けないようにしなければならない。 この、あまりに理想と現実とのギャップに心折れそうにもなったが、
「毎年20%成長でも、10年するとすごいことになる」とひたすら将来像を画いて、あきらめない。
ワクワクというか、もんもんと、半分取り憑かれたような感じで、将来を見据えてはしってきたそうです。
 
5、飛躍のチャンス、自分がタグ付けされる瞬間を逃さない

丸山さんはあるとき、スペシャティーコーヒーの世界的なオークションサイトで、たまたま結果的に世界史上最高の値段でコーヒーを落札したそうです。
大手でなく、日本の一地方のコーヒー屋が、一番高値だったということで、当時海外でもちょっとしたニュースになった。
日本では、商社や卸がよく思っていなかったので、「素人が買い付けに手を出すから、恥をさらした」的な扱いを受けたそうです。
ただ、丸山さんがブラジルの生産者の集まりに参加したとき、「史上最高の値段で落札してしまった丸山です」と自嘲気味に自己紹介したところ、スタンディングオベーションが止まらなかった。
「量とか関係ない。いいものに、ちゃんと値段をつけてくれた。あなたは、それをやってくれたんだ」と、生産者達は、そう捉えてくれていた。そこから丸山さんは、自分のやり方、見られ方にプライド、自信が深まったのだと思います。
 
丸山さんは、日本では、「いつも中南米とかのいつ死んでもおかしくないような奥地でコーヒーの買い付けばかりやっている、コーヒー豆気違い」。 海外では、「あの年に最高値で落札した、フットワーク軽くやってきて、ちゃんとした値段でいいものを買い続けるコーヒー屋」 というタグをしっかり身に付けていて、それによって仕入れや会社の人材などいろいろな面で仕事が発展的にまわっていると思います。
 
 

丸山さんは、奥様が軽井沢が実家で、実家の一部が空いているから、という理由で好きでもないコーヒーを淹れ始めたのが創業のきっかけです。
 
素敵でしょ?