遅ればせながらの「立志」 〜 なぜ農業か

気づけば34である。
 
僕は中学生の頃、20歳ぐらいで死ぬことを想定していたから(弁膜症だったので)、その頃からしたら全く想定できないところまで来た。
 
最近では、少しずつ、「もうすぐ死ぬ訳ではない」という目線でものを組み立てる感覚が身に付き始めそうな気がしている。
 
ということで、孔子の言うところの「立志」を、人生34周年、地震は起きるし起業をするこの節目の誕生日に、遅ればせながら立ててみる。
 
その前に、すこし人生を振り返ると、
 
学生時代:日々目先の事しか考えず、バイトしては海外に泊まっていた
 
コンサル時代:3ヶ月ごとのミッション、同期に遅れまいともがいた8年半。ロジックというコアスキルを頂きました。
一方で、いわゆる「経済の中心」的なM&Aなどを体験するもクライアントの企業価値に人生かけられるか疑問がでてくる
 
ワタミ時代:トップ、同僚、現場まで、血の通った人間、素晴らしき仲間だと思えた。「想い」「理念」を共有して、「心を通わす」ということの素晴らしさ、難しさ。人生の楽しさ、難しさ、苦しさを教えて頂いた3年半。同時に自分のできる事、できない事が分かった時でもありました。
 
本当に、ありがたい環境に恵まれ、自分なりの志を立てられそうです。
 
さらにもったいぶりますが、改めて、私なりの時代認識を、絞り込んで簡潔に書きます。この10年、30年は、長い歴史的視点で見ると何がポイントかというと、三つ。

① バーチャル対リアルの対決のポイントとなるタイミング。(僕はリアルで行きたい)
 
② 多くの人間が自己の意思決定で広範囲に動けるという、人間流動化時代におけるコミュニティーリセット&リビルドをするタイミング(僕の望むコミュニティーをスクラッチで作りたい)
 
化石燃料に依存するのか、しないのかスタンスの違いが先鋭化するタイミング (僕は依存したくない)

少し補足すると、①は、
「バーチャル」=スポーツ観戦、マンガ、小説、テレビ、ゲーム、ネット、“頭でっかち合戦やごますり合戦的仕事”など手触り感のない、怪我をしたり、手痛い失敗をしたりしない側の活動で生きるか、
一次産業、手工業、各種現場、芸術、起業、などリアルなものにこそ価値を置き生きるか、という命題。
 
映画マトリックスに、脳髄にプラグ直結された人間がマジョリティーみたいな状況が描写されていましたが、あの「気持ち悪さ & リアリティー」が僕には強烈なのです。
 
手触り感のある事は、レバレッジが効かないし、うまくいかない事だらけなんだけど、真の仲間ができたり、夕方飲むビールが格別だったりする訳です。「足る事を知る」生き方ができるチャンスがあると思うのです。
 
ということで、僕は徹底的に「リア充」ならぬ「リアル知足」の方向性に賭けてみたいなと思っています。
 
例えば、今、うちにはテレビがありませんが、実家行くと楽しくて、素晴らしい刺激があって見ちゃいます。ただ、テレビがない生活は、主体性が取り戻せる気がするのも事実です。
 
②については、交通手段、物流、IT等の進化のお陰で、有史以来はじめて、世の中のマジョリティーが国境を越え、地域を越え、自分で主体的に住む場所を選べるという時代になっている。
 これの先進事例的なのは、シンガポールとか、もしかしたら新宿二丁目とかだと思うが、
 
「今いる人間」をベースに物事を組み立てるのではなく、「世界の中でここの場所はこういうポジションを占める」というビジョンがハッキリしていて筋が良ければ、そこにフィットした人間が集まって来て、達成できちゃう可能性がある、ということだ。
 
具体的に言えば、「日本の伝統工芸に生涯を捧げる外国人が集まる場所」だとか、「和風なウェブデザイナーの集まる場所」とか「日々農業をやりつつ、執筆、翻訳をやる人が集まる場所」だとか、そういう結構狭い定義付けで「町・村」が成立してゆく可能性がある。
 
こういうことを前提に、自分の住む場所を決める時代になって来ていると思う。僕は、結局山、とくに南麓が好きなので、また、ストレスなく東京、海外に出たいので東信(軽井沢〜長野市あたり)をホームベースとする人生にします。
 
③ については、かなり根源的な話だ。
 
日本の借金のモラルハザードもひどいもんだが、有限である化石燃料を当たり前のように使うのも、後世代からの略奪だと思う。
ガソリンを使うとき、代替エネルギーが今後できる確証がちゃんとあって、後世代に無責任にならないことを担保しながら使う奴なんて、本当は今誰もいないのではないか。
石油は50年は持つようだし、天然ガスやなんやかんやで自分たちが生きている間はいいかもしれないけど、それは自分勝手というもので帳尻が合っていない。
Sustainabilityというのは倫理の問題として直視しなければならないという宿命が我々世代にはあると思う。
ゴアさんのCO2が温暖化起こしているという理論、ポジションが、かなりくじけてしまっているのは、あらら、という感じだが、「化石燃料依存は“盗み”と同じではないか」というのは、“強い一理”があると思う。
 
こういうことを考えたとき、かなり根源的なレベルで振り子が戻り始めると思う。
時代は螺旋階段上に進化すると思うが、これまでの
 
「大量生産大量消費、
マスマーケティング
給与・GDP・社会的地位争い、
短期での効率重視、
バブルや既存アセット(石油など)の分配の論理」
の世の中から、
 
「Sustainability;特に食などについて、
精神世界の充実、
フローベースでリアルに生み出す事の価値尊重、
個人のつながり重視」
という世の中へシフトして行くと思います。
 
雑に直感に任せて言うと、IT、大量生産メーカー、マーケティング、全般的に厳しめかなと。
物欲・利便欲はお腹いっぱいな気がするんです。
新手のAKBなどの「エセself seteem」も、そろそろ「手が届きそうに思えたけど、実はやっぱり届かない」と一般人もバカじゃないから分かるかと。
 
こんなことを悶々と考える中で、僕の中では農業という答えが出て来ましたし、なにより、日々、畑にいたりパソコンに向かったりする中で、「やっぱ畑だ」という実感があるのです。
更に言えば、「この人みたいになりたい!」って思う人が、かなりアナーキーな60前後の農家さんなのです。
 
ということで、「立志」としては、
「農業、新規就農、都市→農村 といったキーワードを通じて、一人でも多くの人がリアルでサステイナブルな中で幸せに過ごす、そういうシーンを増やして、結果素敵なコミュニティー作りがしたい」
というものです。
 
もうすこし具体的な落とし込みをしてみます。自分は都会育ち、頭でっかちな人間なので農業一本で生きられません。ですので、いまのところ、以下のような感じの兼業農家として生きて行こうと思います。

<農業関連サイド>
2011〜2015: 基幹作物としてニンニク、アスパラ、セロリで数名の農業生産法人の基礎を築く(倉渕村中心)
 
2012〜15: 多品目少量で、米、野菜、果樹、鶏等家畜混合農業を行い、50家族に資本参加してもらいつつ、その50家族の食を支えるモデルを築く(軽井沢中心)
 
2013〜15: 同時に観光農業施設として成立させ、非農業者に農業ふれあいの機会を提供するとともに、非効率な多品目少量生産を採算ベースに。同時に、カフェバー(炉端焼き)を隣接させ、軽井沢の外人のたまり場に
 
2016〜: 15人ぐらいまで宿泊できる宿泊施設を建て、企業のオフサイト幹部研修受け入れメニューなどを拡充する
 

<農業以外の“兼業”サイド>
 
2011〜12: 地方自治体の新規就農獲得サポートなどを行いつつ、 “これは”というテーマにおいてコンサルをする(ハイパーインフレへの積極的備え、青果物流通システム再構築、PEによるガバナンスが効き始めた会社における政治読まない正論で切り込む役回り)
 
2013〜: 新規就農サポートを自治体、企業に対して行いつつ、ハイパーインフレが起きたタイミングで、「日本企業の現場を殺さないPMI」をテーマにグローバルサプライチェーン上重要な会社を扱いたい。
また、そういった激震の時には、「軽井沢」や「米」を舞台に、アナーキーで面白い事が仕掛けられそう(例えば、減税特区で別荘族の住民票を一気に移すとか、ハイパーインフレ時、米にバックアップされた地域通貨を作るとか)なので、これもしっかりとビジョンを持って備えたいと思います。

いろいろなことが絵に描いた餅ですが、想像はどんどん膨らんで行きます。
頭でっかちは一生変わらないと思いますが、少しでもちに足のついた34歳、35歳にしたいと思います。
 
これまで、本当にいろいろな人のお陰で、視野を広げて頂いたり、くじけずチャレンジさせて頂いたりしました。
これから、更にチャレンジする訳ですが、今後とも更に倍旧のご指導、ご鞭撻、おこごと、飲みへの付き合いなどのご好意をよろしくお願い申し上げます。
いろいろな立ち位置(肩書き、起業する会社名、”兼業”で活動するフィールドなど)11月までには固めるので、またご報告します。

では、再びエンジン全開!